「ぷち最悪です」
風子の頬がハムスターのように膨れた。
「岡崎さんなんてそこはかとなく嫌いです」
「俺は風子のこと好きだぞ」
「異議あり。だったらそんなこといわないはずです」
「だからこんなこといってるんだが」
夕暮れの公園のベンチに腰掛けていた。
赤い空が少しずつ藍色へと変わっていく。
隣に座る風子の手には木彫りのヒトデ。自分用らしい。
「俺だって風子のこと風子って呼んでるだろ」
「それは岡崎さんが勝手に呼び出したんです。風子はもっと大人っぽく伊吹さんって呼んでほしいです」
「伊吹さん」
「うわっ。今背筋を何かが走りました」
「お前・・・」
学校に戻ってきた風子。渚と三人でこの公園までは一緒に帰ることにしている。
渚は一足先に家へと戻った。公園を走り抜けるおっさんと早苗さんの姿が見えたから店番に行ったのだ。
「なあ伊吹さん」
「うわぁ。それやめてください。気持ち悪いです」
「風子が呼べっていったんだろう」
「変態ですか?」
「話がとびすぎだろ!」
二人。なんとなく帰りそびれた俺達はこうして公園のベンチに座っている。
「風子」
「はい、なんでしょう」
「同じこと、俺の後に続いて繰り返してくれ」
「イヤです。岡崎さんの言うことを聞いてばかりいると思ったら大間違いで」
「ヒトデ」
「ヒトデ」
繰り返していた!
「うみうし」
「うみうし」
「だるま」
「だるま」
「春原」
「変な人」
「ピアノ」
「ピアノ」
「公子さん」
「おねえちゃん」
なんだか少しおかしい気もする。
「朋也」
「朋也」
「言えるじゃん」
「言えるじゃん・・・は!風子はめられました。岡崎さんぷち最悪です」
風子に俺の名前を呼ばせること。これが目標だった。
「ほら、別に変な気もしなかっただろう」
「しませんでした。けどそれは、繊細な風子が岡崎さんの手玉に取られていたからです」
「よく『手玉に取られる』なんてことば知ってるな」
「昨日、テレビで見ました。風子大人ですからなんでも知ってます」
―――「つきあってください」―――
風子にあった日に、俺と風子は恋人同士になった。
そしてここまで一緒に時を過ごしてきたが、どうにもしっくりこない部分があった。「岡崎さん」。風子は
そうとしか呼ばないのだ。
そして今、「朋也」と呼んでくれといったのだが、拒まれた。
「じゃあ大人な風子なら俺のことと朋也って呼べるよな」
「それは無理です」
「なんでだよ」
「岡崎さんは岡崎さんですから」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
カァーカァーと、カラスが鳴いている。山に子供がいるからだろうか。
「あれ」
ふと、そんな声が風にのって飛んできた。
顔を上げたそこには。
「おねえちゃんです」
「だな」
公子さんが袋をさげて立っていた。
「こんばんは」
「こんばんは」
「その袋はなんですか」
「こら、ふうちゃん、挨拶が先」
「はい、こんばんは」
「はい、こんばんは」
「それでこの袋はなんですか」
袋の中身が気になって仕方がないらしい。
「これはさっき渚ちゃんのところでいただいたパンです」
横にいる風子が露骨に嫌そうな顔をした。
「おっさんたちもいたんですか」
「はい、早苗さんも秋生さんもいましたよ。いつもただでこんなにいただいて申し訳ないです」
ニコニコとしながら話す公子さん。
どこか今までよりもおちついた印象をうけるのは気のせいではないと思う。
芳野さんと結婚して、風子が目覚めて、公子さんはずっと綺麗になった。
「お二人はどうしたんですか?デートですか?」
「いえ、そろそろ帰ろうかなって話してたとこだったんですよ」
「あらら、いいんですよ、気を使わなくて。お邪魔しちゃいましたね」
「いや、ほんとに。なあ、風子」
コクリと頷く。
「いえいえ。ではふうちゃんのことお願いしますね、岡崎さん。それよりも朋也さんって呼んだほうがいいでしょうかね」
始終ニコニコとしながらそんなことを言った。
公子さんが去った後、結局二人してベンチに腰掛けたままだった。
もう空の恥ずかしさは黒いマントがほとんど覆い隠している。
ベンチに腰掛けたままぼんやりと消えていく赤を眺めていた。
「風子、そろそろ帰ります」
「ん、ああ、そうだな」
ベンチからひょいと立ち上がる。
「送ってくぜ」
「はい、いきましょう」
そっと、差し出される手。
その手をとる。
「なんか妹の手を引くおにいちゃんみたいだな」
「違います。どちらかというと犯人を護送する女刑事です」
風子の家へと向かう。
毎日の二人きりの時間。公園から風子の家までが唯一のふたりっきりの時間。
「岡崎さん」
「ん、なんだ」
「・・・なんでもないです」
「そっか」
だんだん風子の家が近づいてくる。
もしかしたら公子さんが庭で花に水をやっているかもしれない。
「岡崎さん」
「なんだ」
「風子、岡崎さんのこと名前で呼んでもいいです」
風子の横顔を見る。
風子は前を向いて歩いていた。
「でも、なんて呼べばいいかわかんないです」
「別になんだっていいよ。風子の好きなようにすれば」
「風子、岡崎さんより年上です。でも、年下です」
なんとなく、分かった。風子の言おうとしていること。
「風子、いったいどうしたらいいでしょう」
ヒタリと、風子の足が止まった。次の角を曲がると風子の家に着く。
風子は相変わらず前を向いたままだった。
だから言ってやる。
「風子は風子だ。別に年が上でも下でも、風子は風子なんだから風子らしく呼んでくれるとうれしい」
「風子らしく、ですか」
「ああ、それがいいよ。俺は」
「そうですか」
二人の影はもう完全に消えていた。空には真っ白な月が輝いている。
風子がこちらを振り向いた。
「ここでいいです」
「うん、わかった」
「それじゃあ、風子帰ります」
「ああ、また明日な、風子」
「はい」
ニコリと笑って
「それでは、ヒトデ岡崎さん」
・・・・・・。
・・・・・・。
・・・・・・。
「ぷち言いにくいです」
「風子!」
「わー」
頭をつかもうとしたところ、逃げられた。
「それでは、朋也さんっ」
風子は家へと駆けていった。
曲がり角の向こう話声が聞こえる。きっと公子さんが外にいたのだろう。
立っていると、やがてその声も聞こえなくなった。
夜空の下、明日のことを考えながら家路についた。